Category Archives: 日記

2017 プリツカー賞

今年の受賞者はRCRの3人。 授賞式が28年ぶりに日本の迎賓館で開催されました。 過去の受賞者も招待されたようで、日本人建築家のビッグネームが勢揃いです。 RCRはスペインの故郷の小さな町を拠点に活動しているそうですが、30年くらいのキャリアがあります。 スターアーキテクトの時代が終わったと言われていますが、私からみればRCRは十分スターです。 しかし、スペインであればマドリッドやバルセロナではなく、人口3.5万人のオロトという町で活動する意味。 全ての作品がカタルーニャ地方周辺にあるということ。 そういうローカルな建築にスポットが当たること。 そして、最終的にその建築の評価軸が、きちんと理解できることに僕はとても感銘を受けました。 僕の尊敬する建築家リストの上位にグレン・マーカットがいます。 2002年のプリツカー賞受賞者ですが、彼がこの賞の審査にも携わっていることを、最近知りました。 そしてその彼に見出されたのが、RCRであることは何かとても理解ができます。 評価を受けることを目指すのは、どんな業界のクリエイターであっても避けることはできない。 しかし、それが目的になるようならば本末転倒であり、危険なことだ。 建築を作りたいのか、建築を作っている自分に酔いたいのか。 僕は前者であ…

好き・・・

ある人が言う。 今の車がつまらないのは 車を好きじゃ無いヤツが企画して 車を好きじゃ無いヤツがデザインして 車を好きじゃ無いヤツが宣伝して 車を好きじゃ無いヤツが売っている からだという。 だから、僕はつまらない建築で地球の環境を台無しにしないために 建築を好きなヒトだからこそできる企画をして 建築を好きなヒトにしかできないデザインをして 建築を好きなヒト特有の知恵を絞って 建築を好きなヒトが元気になれるような新たな価値を創造したい それが、僕のやるべきこと。…

使い勝手

「SI-house」のオーナー様との会話の中で、ゴミの話題になった。 住んでいれば当然ゴミが出ますが、その処理方法といいますか、最終的にどのタイミングで収集し捨てるのかは人それぞれと思います。 ただ、出来るだけ存在を隠しながら美しく振る舞いたいと思うのは、現代の常識だと思います。 そこで、奥様に「ゴミの保管はどうされてますか?」と聞いた時 「玄関を出てからグルッと裏に回って外の物置に入れるんですよ」とニッコリ。 「あーそれならば、ここらへんに勝手口ドアあった方が良かったですかね?」と私。 すかさず奥様が、「それはナイです!今のままで全然問題ないですよー」と再びニッコリ。 現状のプランで出入り口をつけようとするとリビング壁面が乱れます。 当然、そういう要望があった場合は、出来るだけ綺麗に納まるように考えるのですが つけない状態の方が美しいのは言うまでもない。 そういう意図を理解して共有しているからこそ、出る言葉だと思います。 設計をする上で、日常の家事動線を短くすることは、当然のことです。 ただし、それは絶対的な正義ではない。 使い方に問題がなければ、或いは別の優先するメリットが明確にあるならば、その設計は正しい。 これは、建築家住宅に住む人には必ず要求される能力だと思いますが 「柔軟…

デザイン

事務所名にデザインを掲げている以上、デザインを重要視しているのは言うまでもないですが、デザインとはなんでしょう。 よく言われる、デザインとアートの違いとは・・・。 日本では、デザインは形の問題と捉えられていることが非常に多く感じます。 単純に形というか見た目。 デザインがイイ=見た目がイイ。 自分の事務所を立ち上げる以前から、その傾向に異議を申し立てたいという気持ちを強く持っていました。 英語の”design”は、設計と訳されます。 つまり、”architectural design”は建築設計で、〜designはすべて何かを設計する行為だと考えていました。 だから、デザインと言う行為はとても広義で裾野が広い分野だと思っています。 建築のデザインは、形にとどまらず性能や機能、コスト、耐久性、素材感、すべてのバランスにおいて選択されるべきだと考えます。 問題になるのは、それをいつ決めているか。 モノを作る段階というのは、すでに思考を停止してアウトプットする段階なので、そこでの設計判断は大抵間違う。 模型を作ると分かるが、設計が決まっていないと、模型でやっても駄作ができる。 そして、また設計を考え直し、模型を作る。 もちろん作りながら考えるという方法もあるだろうが、実際の建築でそんなこと…

M2地盤調査

M2-houseの地盤調査です。 解体前なので、限られたスペースでの調査になります。 SWS試験データはあるのですが、やはりボーリング調査をしないことには厳密には把握できないので 当事務所では、予算の許す限り行っております。 近年ハウスメーカー等では、無料サービスでSWS試験を行っている場合が多く、時代の変化に驚かされます。 それをサービスにすることで、小さな資本の会社との差別化を図っているのでしょう。 現場に行く途中、周辺で少し迷ってしまいウロウロしていたら、偶然発見しました「2004」 設計は中山英之さん。 松本にあるのは知っていましたが、なんと目と鼻の先ほどの距離とは・・・。 2004年と言えば、この作品が受賞したSDレビュー2004で見たパースの抽象度にクラクラしながら 僕は東京で「#5115」を設計していました。なので、無条件に反応してしまいます。 そして、13年経って、こんな近くでプロジェクトを進めているというこの不思議な感じ・・・。 さすがに、昼間から人の家をパシパシ写真撮る勇気を持ち合わせていないので、ネットの写真を拝借。 既に最初のオーナーが売ってしまったらしく、住人は当時と違うそうです。 様々な理由があるのでしょうが、建物は残ってほしいと思います。 竣工当時の環境…

A’DESIGN AWARD 金賞受賞

「SI-house」が2016-2017A’Design Award の金賞を受賞しました! 世界中のあらゆるデザインが集められた中での受賞は、大変光栄なものです。 デザインの価値を高める上で、こういった一定の基準の中で評価されるということがより励みになります。 ここで考えたことや試みたことは、先人の技術を学びながら、いかにそれを超えていくかということが根本にあります。 同じ材料、工法、大きさであっても、そこにその技術が反映されていなければ、価値あるものにすることは難しいでしょう。 新しさと古さに優劣はないですが、どこに価値基準があるのかということが大事だと思います。 新しいだけのモノがあふれる世の中で、一品生産であるがゆえに完全に工業化出来ずサイトスペシフィックな環境にさらされる建築の可能性は モノという物質的な現実と映像というバーチャルな存在の間で揺れ動く繊細なものですが、 さらなる追求と情熱をもって、建築を作り続けることが私の唯一できることです。 内覧会の後の、このタイミングで受賞できたことは、とても意味のあることだと感じています。 この場をお借りして、オーナー様をはじめ、工事関係者の皆様方のご協力に心より感謝致します。 ありがとうございました! A’D…

SI-house内覧会

先日、クライアント向けに「SI-house」の内覧会を行いました。 あいにくの雨模様の天候でしたが、それほどひどくならず、夕方にはすっかり雨も上がっていました。 上の写真は竣工時のものですが、今も変わらず維持しておられるオーナー様には頭が下がります。 現在設計中のクライアントと同行したので、進行中の計画模型を並べながらお話させて頂きました。 「SI-house」のオーナー様には、この住宅の竣工と同じ時期に生まれたお子さんがいらっしゃいます。 当然生まれたときから、この住宅とともに年を重ねています。 そのお子さんが、並べられた模型を指差しながら、「おざわさん!ここは、あそこと同じだよ!」 と自分の家と似ているところを探していました。 そんな仕草が僕には、とても愛おしく思えました。 僕の仕事が誰かの心に残り、それがきっかけで建築に興味を持ってくれたなら、それこそ建築家冥利につきます。 たったひとつの住宅だとしても、それに関わる人の多くに思いが伝えられたなら、それは大変な名誉だし 誇れることだなと、改めて思いました。 次はこの自作を超えるモノを作らねば・・・。 5年前のオーナー様と自分…

入学式

娘の大学の入学式に出席した。 育てるというよりも、親として一緒に学びながら生きてきた子供がずいぶん大人びて見えた。 まだまだ、僕たちのサポートが必要かもしれないが、確実に社会に出る準備が進んでいる。 自分が社会にできることの一つとして、少なくとも社会に必要とされるような子供を育てたいと思っていた。 それが、少しずつ終わりに近づいていることを実感した。 寂しいけれど、嬉しい方が勝っていて、自然と笑みが止まらない。 東京国際フォーラムの大きなホールで行われた入学式に、並んで出席できたのは間違いなく僕の一生の思い出になった。 学長の言葉は、学生だけでなく、僕の心にもとても響くものだった。 これから経験する多くのことが、彼女の人生にかけがえのないものになることを祈っている。 そして、僕自身も新たなフェーズに進める年にしたい。 見上げた吹き抜けの大きさは、とてつもなく大きなものだけど、僕の志だけはこんなものでは収まらない・・・ と思いたい。…

ケンチクカン

僕は建築が好きだ。 そして、建築を作るプロセスはとても刺激的で、自分の思考が少しずつリアライズされる過程は何より至福な時間といっていい。 設計事務所の仕事は、設計をすることだから所員が現場に行くことは、設計監理の常駐以外あまり歓迎されない。 だから自分が独立をするなら、一つ一つ作るものを自分の目で確認して時に自らが手を下してでも作りたいと考えていた。 だから、胸を張って作品と呼べるし、そうだと確信していた。 その考え自体は変わっていないのだけれど、今はもっと距離をとるというか、むしろ自分が作らないからこその、幸せな偶然を期待するようになった。 全てをコントロールすることは、確実に設計者の理想でもあるが、それが真に良いことと思えないこともある。 もちろん意匠的な意図を持つことは大事なことだが、建築工事というカオスの中では、あまりに繊細で脆弱な論理でしかない。 しかし、本当に一流な技術は、意図しなくとも自然に全てを取り込んでいく。 例えば、安藤忠雄のコンクリートの壁を見たレンゾ・ピアノが「これは墨絵だろ?」というように。 恐らくそれは、単にコールドジョイントだと思われるが、それが墨絵に見えるほど美しいコールドジョイントをどうやって意図的に作るのか。 そういう偶然を引き寄せるだけの「何か」…

M2-house現調

新規契約クライアントの現地へ。 松本なのですが、こちらは長野と全く街の雰囲気が違います。 お城はあるし、親水性の高い街並みで美しいです。 なんとか現地からお城が見えないか確認すべく、ドローン出動。 10M以上、上がっても見えないことが判明し、眺望はほぼ諦めました。 #5115以来、あまり作っていない都市型住宅になりそうです。 田園風景と都市的環境のハザマの環境で、建築にできることは何なのか。 思いを巡らせて、その思いをクライアントと共有して、今の僕にできる最高の建築を提供する。 時間の許す限り、悩み抜き、知恵をしぼる。 それしか良いモノの作り方を僕は知らない。 以前に勤めていた事務所の同僚が、クライアントに喜ばれるものを作りたいと言った時、僕は違和感を持った。 その彼の意見はもっともな意見だし正しいと思う。でも、それは建築家でなくとも出来ることだ。 建築家であると自負するためには、やはり自分の考える最高の建築と呼べる理想を持てなければいけないと思っている。 その結果、それに共感してもらえるクライアントが現れることが、最高の評価だと思う。 その理想を追求することが僕の生きる目的。 それを仕事と呼ぶのか、趣味と呼ぶのか、人生と呼ぶのか、そんなことには興味はない。 僕は自分の考える最高の建…

キースヘリング美術館

以前に行ったキースヘリング美術館のエントリーから早4年近くになります。 増築工事や付帯設備が完成したようで、再び訪問しました。 今回は、仕事も絡みつつの訪問です。 平日に行ったので、入館者は他に誰もいなく貸切状態。 増築もしてるし、隣にホテルも建って、北川原ワールド全開ですが、レストランが併設されていないのはどうなんでしょうか。 ホテルの宿泊客は、外を歩いてレストランに行くらしい。 寒い時期はオフシーズンだからということか・・・。 思いっきり雪降ってるし。 外部の塗装も、構成が変わっていて以前のエントリー時の悪かったところも、かなり修復した感じです。 ここに来ると思うのは、ポップアートが美術品になってしまうと、やっぱり良さがなくなるというか、気軽さが売りなのに矛盾してるというか。 作品に触るなとか書かれても、それはキースの本意なの?って思ってしまう。 もちろん警告を無視して、軽々しく肩組みながら作品と一緒に写真に収まる神経も理解できないが。 キースのデザインは、みんなに揉みくちゃにされながら、愛されるアートだと思うのは僕だけでしょうか。 それならば、別にレプリカでも問題ないわけで、偉そうに鎮座するだけが美術品じゃないと思います。 大人の事情でもあるのでしょうか、見る側はよくわかりませ…

江戸東京博物館

両国の駅からの視線を十分に意識したであろうその形態はわかりやすさと複雑さを同時に表現しているようにも見える。 レム・コールハースの「ビッグネス」を建築家によって具現化したような佇まいは、異様なものだがここまで堂々とされると、やはり説得力を帯びてくる。 強いものが勝者であるのではなく、勝ったものが強いということか。 「バカの壁」を何気なく開く。 それは、15年ほど前の養老孟司著の対談をまとめた本で、とても読みやすいもの。 そこで語られる論旨は、現代人がいかに偏った思考方法かということが書いてある。 話せばわかるというのは大嘘で、話してもわからないことはこの世に無数に存在する。 説明してわかることは、ほんの少ししかない。 それがバカの壁であり、その壁に隔たれたもの同士がいくら会話を試みても、互いを理解することができない。 物を知るということは、このビッグネスな建築を前にした感情が、もっと近くに寄ってみたら、どうなのだろう 反対側から見たらどうなってる?あのピロティでコーヒー飲んだらどんな気分・・・。 というように無数の情報がそこに転がっている状態を、一つ一つ観察し体感して 再び同じ建築を見たときに、ガラッと見え方や感じ方が変わること。 それが、知るということ。 僕はこのショットをスマホに…