Category Archives: 日記

TNデザイン一級建築設計事務所

八百長

Photo:Le Corbusier, La Cité Radieuse, Marseille by C1ssou 世の中は、ボクシングの八百長疑惑で盛り上がっているようですが・・・。 勝負の世界なので、勝つか負けるか勝者と敗者しかいないのだけれども だからといって勝つ事で全てを正当化する事は出来ない。 負ける事や負け方がすばらしく美しく感動する事もある。 日本は戦争に負けたから、経済大国になれたのかも知れない。 建築の勝負と言えば、コンペと呼ばれる設計競技がある。 国際的なオープンコンペから住宅のネットコンペまで、その規模や派手さは様々だが 多かれ少なかれ、仕事を依頼されるには何らかの競い合いを勝ち抜いているはずだから 全ての設計は広義のコンペティションだと言えるかも知れない。 しかし、そこで勝てるのは一案だけであり応募数が多ければ多い程負けた人も多数いるという事だ。 つまり、ほとんどの人が負けている。私も含めて。 だからこそ、勝った者は負けた者に対して敬意を払い、負けた者は勝った者を讃える事が出来る。 隈研吾さんの「負ける建築」という著書があるが、負け方の考察が面白い。 まさに、建築で美しい負け方を表現している。あんな負け方が出来るなら負けてもいいと思う。 この業界でも、大きな設…

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クラシック

Photo:Karmann Ghia motif by exfordy 最近、クラシックカーに乗ってます。 まだまだ、手を入れなければならない部分があり なじむまでに時間がかかりますが、徐々に自分のモノになっていく感じがたまらない。 そして、事務所と自宅の往復しかしていないのだが、止まっているとやたらと声をかけられる。 そのほとんどが、40代、50代以上の男性。 「この車、本当に動くのですか?」 「もちろん、動きます。」 こういう会話が多くなった。 「若い頃、これに乗ってたんですよ」 と言われる事もある。 「記憶」というものはデザインの要素の中で重要だが時間を伴うものなので難しい面もある。 建築は特に街の記憶を刻んでいると言える。 車は動くものだが、それでも街の記憶の一端を担っているとも言える。 旧車の場合はむしろその人の人生の記憶になっている場合が多いかもしれない。 日本の街並には、昭和中期や後期に建てられた建築が、街の記憶にまで昇華している場合は 少ないように思える。 そのほとんどが、スクラップとなって更新されている気がする。 昭和初期でもよほどの価値が見いだせない限り、同じだったりする。 車ほどデザインに開きはないが、建築にも流れがあり、その時代の流行がある。 それが、同じよう…

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脱ダム宣言

先日、打合せの中で現長野県知事の「脱ダム宣言」についての話になった。 打合せとしては、素材の話であったのだが。 そこでの話。 先方「コンクリートは自然の素材じゃないから・・・」 相棒「でも、コンクリートは地場の材料を使ってつくる素材としては世界中で 使用されていて最も普及している素材ですよ」 先方「私は田中知事に賛同しているので、コンクリートは嫌いです。だって脱ダム はコンクリートのダムをつくらないって宣言しているのですから」 私 「それは、コンクリートがいけないのではなくダムをつくる事がムダだと宣言しているのだと思います。」 先方「さぁ、そうなのかしらね。私はそうは思いませんけど」 田中知事の宣言を良く見てみると、ダムの代わりに河川の治水地業を充実させると書いてある。 つまり、ダムで治水をする事よりも河川で治水をする方が割安らしい。コンクリートのことについては 全く触れられていない。 確かに「コンクリートでダムをつくるべきでない」と宣言しているが、これはコンクリートが悪者ではなく ダムのつくりかたが悪いと言っているのではないか。 木造でダムをつくれば環境に優しいとでも思っているのか・・・。 フードマイレージやウッドマイルズなどが最近言われているが、環境を軸に考えた時、自然=木材とい…

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ヒロシマとナガサキ

Photo:hiroshimaps03.jpg by scarletgreen 先日、原爆に関する特番を何本か見た。 それは、戦後60年という節目もあり各局様々な側面から、「あの日」の出来事を克明に伝えようと工夫を凝らしている。 ある番組で、実際に開発に携わったというアメリカの科学者が初めて広島を訪れ、そこで被爆した2名の男女と対談をするという画期的な企画を見た。 有名な原爆のキノコ雲を上空で撮影した映像は、その科学者のものだったらしい。 実際に、投下した輸送機にその科学者も乗っていたという事だ。 そして、対談でアメリカ人の認識と被爆した人々の認識に決定的な違いが浮き彫りになっていた。 それは、科学者曰く「あの日」の出来事は間違っていないという事だ。 原爆投下を引き起こしたのは、日本軍の真珠湾攻撃であり、そこで多くのアメリカ人が亡くなった。それは、その科学者の友人達も含まれていた。 被爆者である日本人は、謝罪を求めたが「謝罪をするのはむしろあなたの方だ」と突き放されてしまった。 これには、少し驚きと納得があった。 こういう考え方をしている限り、戦争はなくならないし、核の廃絶は難しいだろう。 科学者は、「爆撃で死ぬのも原爆で死ぬのも、死ぬ事に変わらない。」と語っていた。 しかし、それは…

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体感-2

建築と対話をする。 自然と対話をする。 人間と対話をすることは容易い。共通言語を持っているから。 でも共通言語を持っていない他者と対話をするのは、容易ではない。 建築は動けない。それは自然も同じ。 だから、こちらが会いに行く。 会ってみなければ、どんな他者かわからない。 お見合い写真は、もう見飽きてしまった。 新たなる出会いを求めて。 九谷焼窯跡展示館 静かなファサード   顔? 西田幾多郎記念哲学館 住吉の長屋がフラッシュバック。本家よりも太っている・・・ スタルクの椅子が壁面にとけ込む。 この純度に圧倒される。 コンクリートに転写されたレイヤーがこの建築のすべて。 全てを浄化するレイヤー。 格子のレイヤーが重なるごとに奥行きが増してゆく。 宇ノ気町立金津小学校 木造は純度が下がる。それをここまで引き上げるのは設計者の力量。…

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体感-1

先日、建築を体感してきた。 純粋に体感するのは、簡単なようで難しい。 建築は機能があるものだから、その機能が満たしているかどうかは、比較的簡単に判断できる。 しかし、建築と対話をするべく姿勢で感じようとすると、とても一日では判断できない。 そこが、建築の懐の深さであり、奥行きというものだ。 対話する感覚は、その場所に身をおいた者にしか得られないものだろう。 そして、それを磨く事は建築家としてだけでなく、人間としての感受性をみがくことだ。 そこに、芸術の本質があると思う。 なんでもないことが、なんでもなく見える瞬間を大切に。 新たな発見に心ときめかせつつ、感じた事。 TARNSTATION大関 小さな駅で舞っている日常を包む鉄板。 周囲はごくありふれた住宅街に挿入された異質さが心地よい。 HALFTECTURE福井 ありふれた水平線と垂直線に抗うように曲がってしまった。あるいは曲げられてしまったよう。 曲線の美意識を感じる。 福井県立図書館・文書館 自然と人工物の対比は、建築の永遠のテーマ。 色彩の美しさと素材感が際立っている。 自然に負けない自然さ。…