Category Archives: 建築デザイン思考

デザイン

事務所名にデザインを掲げている以上、デザインを重要視しているのは言うまでもないですが、デザインとはなんでしょう。 よく言われる、デザインとアートの違いとは・・・。 日本では、デザインは形の問題と捉えられていることが非常に多く感じます。 単純に形というか見た目。 デザインがイイ=見た目がイイ。 自分の事務所を立ち上げる以前から、その傾向に異議を申し立てたいという気持ちを強く持っていました。 英語の”design”は、設計と訳されます。 つまり、”architectural design”は建築設計で、〜designはすべて何かを設計する行為だと考えていました。 だから、デザインと言う行為はとても広義で裾野が広い分野だと思っています。 建築のデザインは、形にとどまらず性能や機能、コスト、耐久性、素材感、すべてのバランスにおいて選択されるべきだと考えます。 問題になるのは、それをいつ決めているか。 モノを作る段階というのは、すでに思考を停止してアウトプットする段階なので、そこでの設計判断は大抵間違う。 模型を作ると分かるが、設計が決まっていないと、模型でやっても駄作ができる。 そして、また設計を考え直し、模型を作る。 もちろん作りながら考えるという方法もあるだろうが、実際の建築でそんなこと…

M2地盤調査

M2-houseの地盤調査です。 解体前なので、限られたスペースでの調査になります。 SWS試験データはあるのですが、やはりボーリング調査をしないことには厳密には把握できないので 当事務所では、予算の許す限り行っております。 近年ハウスメーカー等では、無料サービスでSWS試験を行っている場合が多く、時代の変化に驚かされます。 それをサービスにすることで、小さな資本の会社との差別化を図っているのでしょう。 現場に行く途中、周辺で少し迷ってしまいウロウロしていたら、偶然発見しました「2004」 設計は中山英之さん。 松本にあるのは知っていましたが、なんと目と鼻の先ほどの距離とは・・・。 2004年と言えば、この作品が受賞したSDレビュー2004で見たパースの抽象度にクラクラしながら 僕は東京で「#5115」を設計していました。なので、無条件に反応してしまいます。 そして、13年経って、こんな近くでプロジェクトを進めているというこの不思議な感じ・・・。 さすがに、昼間から人の家をパシパシ写真撮る勇気を持ち合わせていないので、ネットの写真を拝借。 既に最初のオーナーが売ってしまったらしく、住人は当時と違うそうです。 様々な理由があるのでしょうが、建物は残ってほしいと思います。 竣工当時の環境…

ケンチクカン

僕は建築が好きだ。 そして、建築を作るプロセスはとても刺激的で、自分の思考が少しずつリアライズされる過程は何より至福な時間といっていい。 設計事務所の仕事は、設計をすることだから所員が現場に行くことは、設計監理の常駐以外あまり歓迎されない。 だから自分が独立をするなら、一つ一つ作るものを自分の目で確認して時に自らが手を下してでも作りたいと考えていた。 だから、胸を張って作品と呼べるし、そうだと確信していた。 その考え自体は変わっていないのだけれど、今はもっと距離をとるというか、むしろ自分が作らないからこその、幸せな偶然を期待するようになった。 全てをコントロールすることは、確実に設計者の理想でもあるが、それが真に良いことと思えないこともある。 もちろん意匠的な意図を持つことは大事なことだが、建築工事というカオスの中では、あまりに繊細で脆弱な論理でしかない。 しかし、本当に一流な技術は、意図しなくとも自然に全てを取り込んでいく。 例えば、安藤忠雄のコンクリートの壁を見たレンゾ・ピアノが「これは墨絵だろ?」というように。 恐らくそれは、単にコールドジョイントだと思われるが、それが墨絵に見えるほど美しいコールドジョイントをどうやって意図的に作るのか。 そういう偶然を引き寄せるだけの「何か」…

M2-house現調

新規契約クライアントの現地へ。 松本なのですが、こちらは長野と全く街の雰囲気が違います。 お城はあるし、親水性の高い街並みで美しいです。 なんとか現地からお城が見えないか確認すべく、ドローン出動。 10M以上、上がっても見えないことが判明し、眺望はほぼ諦めました。 #5115以来、あまり作っていない都市型住宅になりそうです。 田園風景と都市的環境のハザマの環境で、建築にできることは何なのか。 思いを巡らせて、その思いをクライアントと共有して、今の僕にできる最高の建築を提供する。 時間の許す限り、悩み抜き、知恵をしぼる。 それしか良いモノの作り方を僕は知らない。 以前に勤めていた事務所の同僚が、クライアントに喜ばれるものを作りたいと言った時、僕は違和感を持った。 その彼の意見はもっともな意見だし正しいと思う。でも、それは建築家でなくとも出来ることだ。 建築家であると自負するためには、やはり自分の考える最高の建築と呼べる理想を持てなければいけないと思っている。 その結果、それに共感してもらえるクライアントが現れることが、最高の評価だと思う。 その理想を追求することが僕の生きる目的。 それを仕事と呼ぶのか、趣味と呼ぶのか、人生と呼ぶのか、そんなことには興味はない。 僕は自分の考える最高の建…

鉄骨検査

T-houseの鉄骨検査に安曇野へ。 もう何度も鉄骨検査をしているけれど、未だに建築パーツを事前に確認するワクワク感は変わらない。 もちろん、事前に製作図を確認して、その通りの実物が目の前にあるだけの話なのですが。 でも、これが自分のイメージする空間を支える構造体なのだと考えると、楽しくなるのです。 鉄骨部材は規格品であり、ある程度決まった形です。 それを、適材適所で設計をして部材を使い分け、時にはカットして形を変えて骨組みを作る。 部材同士は溶接で接合されているので、それが規定の強度を持っているか、変形はないか パーツとしての形状がきちんとできているか、など様々な項目をチェックします。 それでも、建築現場に完璧はありません。 致命的なトラブルが発生する可能性はゼロではありません。 構造躯体の強度が低下するようなミスは、あまり起こりませんが意匠上のトラブルはよく起こります。 それは、デザインの意図というのを施工者(特に職人レベル)で理解することは非常に難しいということです。 だからこそ、建築家は現場を見て、細かい指示をしながらそれを作品として昇華させるべく腐心するのです。 現場監督はスムーズに進めるために、現場を管理し、我々もそれに協力をします。 ただ、僕が現場を見て考えているのは、…

飯山市文化交流館なちゅら

近場なので、行ってきました「なちゅら」。 設計は隈研吾さんです。 建築を評価するときに、ビルディングタイプの違いとか、予算の違いを理由にする人がいます。 例えば、お金があるからこんなことができるんだとか・・・。 本来そんなものは関係なくて、限られた予算の中でどんな解答がベストなのか、どうマネジメントされているのかを考えるべきです。 そして、この建築はここで何を作るべきか、周囲の環境をどう解釈するのか、どこにお金をかけるべきなのか 様々な要件に対する建築家の解答の一つ一つが、「そうだよね」と納得できるものでした。 施工費は約30億。 ホールを持つ文化施設として、余裕のある予算ではないと思うけれど、飯山市の財政を考えれば立派だと思います。 それに対して、きちんと建築家の『思い』が伝わる建築だと感じます。 長野市の市庁舎・市芸術館の施工費は約160億。 市庁舎の費用があるので、一概に比較はできませんが明らかに異なるデザイン密度。 大御所が設計したとしても「思い」がなければそれは建築ではなく建設に堕落する。 長野市民は見ておいた方がいいと思います。 ただ隈さんのポリゴン系の建築は、実は私は嫌いです。 ここでの、デザインテーマが何なのかは理解できますが。 結論としては、いい建築なんですけど・・…

世界遺産

久々のブログ更新。 Facebookで近況報告をするようになってから、ブログを書く機会が減ってしまいましたが、これはきちんと記録したいと思いました。 まず、日本で唯一のコルビュジェ作品である上野の『西洋美術館』が世界遺産になりました! このニュースは本当に嬉しいことです。 コルビュジェ財団が世界的に作品全てを世界遺産に認定しようという動きをしているようで、日本でも数年前から検討されていたようです。 関係各所の皆様にとっても、僕のような建築に関わる全ての人にとって、歴史が動いた記念すべき瞬間であると感じます。 ル・コルビュジェという建築家については、様々な研究がなされているのでそちらに論を譲るとして、作品についての解釈について僕の思うところを・・・。 SNSでもいろいろな意見がありますが、「西洋美術館」についての僕の評価は、実はあまり高くありません。 そう思う理由の一つに、コルビュジェの作品はどれも世界遺産として残すべきものですが、唯一日本の「西洋美術館」はそもそもコルビュジェ作品と言えるのか怪しいというものです。 これは主には磯崎さんが語っている説の受け売りなので、詳しくはそちらを見ていただきたいのですが、概略はコルビュジェの基本設計図には寸法が書かれていないこと。 実施設計を日本の…

日本建築思想史

久々に本が読みたくなって手にしたのが「日本建築思想史」磯崎新著。 磯崎さんの文章は難解ですが何故か読みたくなります。 そこに山があるから登るのが登山家であるなら、建築家として磯崎新の言説はエベレスト級の山に見えますが、どうしようもなく惹かれます。 本書は、難解なのは序章までで、あとは対談形式なのでとても楽に読めました。 内藤廣曰く「建築家の言説が難解なのは、出来なかったことを説明しようとしているから」と言っておりますが 磯崎さんに限っては、明らかに意図的に難解にしている。 分かるもんなら分かってみやがれ的な・・・。 現代において「わかりやすさ」は正義でもあり、なんでも簡略化や省略をして「わかりやすく」することで消費されます。 消費されないモノを構築するには、やはり消費されない思考ももちろんだが、社会背景も重要。 そういう意味では時代を読み解き、そこでどう振る舞うかにかかっている。 それは私のような末端の建築家であっても、同じだと思う。 磯崎新はこう読んでこう振る舞った。 僕はどう読み、どう振る舞う?…

ウツクシサ

美について 「SI-house」は竣工して3年が経ち4年目になります。 竣工してからすぐに壊れてしまったところや修理したところが当然あります。 工業製品と違って、一品生産である建築は、具現化する前にテストをする余裕がありません。 ましてや挑戦的な建築は、それだけでリスクを内包しています。 同じモノを大量生産するならば、多くのバグを事前に取り去る必要もありますが それを完璧にできる建築は、余程の予算と工期が必要になります。 無名のアトリエ事務所が作る建築に、そんな余裕はあるはずもなく。 リスクを根性で振り払い、立ち向かいます。 どんなモノでも生まれたてはキレイに見えます。 どんなバックボーンを持っていても。 若者も輝いて見えますよね・・・。 しかし、年を重ねて劣化するのか、維持するのか、さらに輝くのか。 その後の環境に左右されるのは、人生に似ている気がします。 丁寧に使われた職人の道具が、美しい光を放つのと同じように 崇高な理論の元に愛された建築は、美しいオーラを放ちます。 ウツクシイとキレイの違いってわかりますか? 僕も全て言語化できるわけではないですが、建築のウツクシさとキレイさの違いはわかります。 新築のハウスメーカーの家はどれもキレイ。 60年前に建てられた、コルビュジェの「ラ…

その後・・・

「SI-house」に久しぶりの訪問。写真は懐かしの施工風景。 この建築とほぼ同時に生まれたお子さんが、大きくなって言葉もどんどん話せるようになり時の流れに気付かされる。 僕はこの家が好きだ。 多分、好きという感情を超えている気がする。 この建築の置かれている環境・・・愛されるべきクライアントご夫婦とお子さんに囲まれている・・・状態そのものが好きだ。 建築家は建築を作ることができるが、建築の置かれる環境までは、想定はしていても作ることはできない。 もちろん、愛されないようにモノを作ろうなんて思う人はいないから、少なくとも愛されてほしいと思いながらモノを作るだろう。 だからといって本当の意味で愛されるモノができるとは限らない。 僕は正直言って、この建築がこんなにもうまくできていることに自分自身驚いている。 本当に自分が設計したとは思えないほどに。 多分それは、僕の力だけでこんな幸せな状況になったわけではないからだろう。 それは、クライアントの人間力がそうさせているのだ。 建築は、他の殆どのモノたちよりも格別に寿命が長い。 だから、いろいろな批評の的にさらされてしまう。 「新国立」は生まれる前に消し去られてしまったが、生まれればそれなりの建築に育っただろうに・・・。 瞬間を切り取る写真と…

バルバラ・カポキン国際建築賞

2013年度のバルバラ・カポキン国際建築賞の優秀作品(The Best 40 Works)に当事務所作品「SI-house」が選出されました。 →websiteの”PREMIO”から”Migliori opere”をクリックすると今回の受賞作品名が表示されます。 金賞の受賞は逃しましたが、世界各地から応募された中での40選に残れたことは、大変光栄に感じております。 それも、世界の舞台で小さいながらも評価を得られたことが、私にとって大変な励みになります。 建築家という仕事は、長い時間を掛けて世界を構築していく側面が多分にあると思います。 その過程において、建築家は世の中のトレンドのなかで評価されてしまうのは当然です。 しかし、トレンドというのは得てして行き過ぎたり、間違った方向に行くこともあり、必ずしも正しい方向であるとは言い切れない部分もあります。 建築家も世の中の支持がなければ生きられないのも現実です。 ですが、支持を得るために建築を作っているわけでもありません。 だからこそ、自分の信じる建築が何らかの評価を受けるということは、何事にも代えがたく最高の喜びの瞬間でもあるわけです。 そして、建築は他の芸術と違って、依頼主に提供するという大前提があります。 クライアントの影響が少なから…