Category Archives: 建築行脚

TNデザイン一級建築設計事務所

越後妻有アートトリエンナーレ2006 その5

風景は少しずつ変化している。 その風景が変わっても切り取る気持ちと場所はいつまでも変わらない。 その気持ちがフレームに託されている。 ゆらゆら揺れるカーテンは移ろい行く風景を包み込み受け止めている。 何百年の月日を重ねてつくり上げられた風景を人間の営みは一瞬で変えてしまえるほどの力を持ってしまった。 その力を自在に使う能力を持つ事は、力を得る事よりも難しい。 世の中を変える力はそういう能力を身につけた人間が行使しなければいずれ破綻する。 対岸の木の為の空間。 すでにうっそうとしてしまって、木の存在が良くわからないが 僕の好きな空間。 子供にちょうど良い位の空間だが、そのタイトさが心地よい。 こういう、空間性のあるものがやっぱり楽しい。 よく見ると、ヒトガタの集積で構成されている。 TOD’Sの人版でしょうか。 先日、話をした人がTOD’Sとミキモトは同じデザインだと思う。という人がいた。 僕は全く違うと思うのだが、それが同じだと思うとしたら形しか見えていないのだろうと感じた。 このヒトガタは、壁に孔があいているという風にみれば、全くヒトガタには見えない。 孔ではなく隙間という感じだろう。 孔と隙間は、言葉が違うが表現される物体は似たようなものかもしれない。 し…

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越後妻有アートトリエンナーレ2006 その4

建築と言う風景。芸術と言う風景。 風景をつくるということ。 それは、芸術をつくるということ。 芸術はもともと身近にあるものなのだから それに気づくかどうかは人間次第。 地面に埋められた幾何学。 それは、見るというより包まれる感じ。 洞窟的空間は、僕にはなぜか懐かしく感じるのは、DNAの仕業なのか。 子供の頃の記憶なのか定かではない。 そこにただ一人、立ち続ける。 群れることはしないで。 ただ一人思い続ける。 バタフライ・スツールのブランコ。 シェーズ・ロングのブランコがあったら、欲しいと思う今日この頃。 かつて、この廊下を小学生たちが歩いていた。 今は近未来の通路のよう。 こういう光はたまらなく好きだ。 「田園の枯山水」…

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越後妻有アートトリエンナーレ2006 その3

廃墟の美。人間のエネルギーを込めてつくられたモノが朽ちていくことで、自然のエネルギーに委ねる。 自然と一体となるという事はこういう事かもしれない。 闇に浮かぶ光。光だけが物質を物質足らしめている。 光がなければ認知することすら出来ない。 それほどに闇は全てを飲み込んでしまう。 だから、古代の人間は闇を恐れたし、現代でも恐ろしい。 現代に本当の意味で闇が存在しないのは、その恐怖の裏返し。 そして、その闇に輝く光は時に本当に美しく思える。 闇の恐怖から解放されるという安堵感がそうさせるのか。 水面に浮かぶ幼虫のような物体は光を蓄えてさらに魅力的に見えた。 偶然、花火が見れたのだが、光の共演が楽しげだった。…

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越後妻有アートトリエンナーレ2006 その2

自然と人工物のせめぎ合い。 しかし、このコールテン鋼自身も自然の状態であるとも言える。 お互いにお互いの自然をぶつけ合って、共有している事が素晴らしい。 抽象化された風景。 自然は有機的な存在であるが故にその対比としての抽象がある。 人間の肉体は有機的だが、脳=思考は抽象的である。 だからこそ、有機物の中の無機物が人間の思考を象徴しているように私は思えるのである。 建築の抽象化は、人間の思考を追求すれば表れる現象だと思う。 住宅を抽象化するかしないかは、別問題かもしれないが 住宅が建築だとするのなら、住宅が抽象化されていくことは避けられない。 住宅が建築であり得ないのなら、それはもう住宅ではなくただの物質だ。 抽象化の先を見据える建築家がいる事は否定出来ないが、私はまだそこから抜け出せずにいるかも知れない。 向かい合う風景を見る為だけに設置された塔。 建築が機能を要求されるのは日常的だが、美術作品に機能を与えることで その意味を問うている。 現代の身の回りにある装置は全てにおいて多機能な存在であるが それが本当に価値に繋がっているかと言えばそうでもない。 多機能なものは多機能な故に価値を見いだせずに捨てられる事もある。 その存在だけが唯一の機能であれば、それが自然の姿ではないのか。 …

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越後妻有アートトリエンナーレ2006

2週に渡り行ってきました。 2003年にも行くチャンスがあったのですが、今回が初めてです。 3回分の作品なので、かなりのボリューム→300作品以上! とても全ては回れないけれど、昔やったオリエンテーリングみたいで僕よりも家族が楽しんでました。 地域の活性化という意味でこういう企画というかお祭りは是非継続してもらいたいです。 地方と都市という関係ではなく、芸術という一見ハイカルチャーなフィルターで田舎の日常を共有するというのがとてもイイと思います。 そうすることで、経済効果という目先の利益ではなく、田舎自体の存在意義が変化してくるのではと期待しています。 まつだいならではの風景。大地の芸術という感じ。 宮崎アニメの世界のようです。アニメと違うのは、凄まじい迫力とエネルギーを感じます。 愛するカルマン・ギアは車の芸術だと思います。後ろの作品とコラボ! 僕の好きな作品。カルマンが馴染んでます。…

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JIN

青木淳さん設計のオフィスです。 群馬にあります。 この建築も「登別」と同じ雰囲気を感じました。 デザインは全く違うし、材料だってこちらの方が少し高そうなものを使っているようですが。 ここで同じだと感じたのは、そのデザインアプローチというか手法が近い気がする。 こちらも内部を伺い知る事は出来ないので、外観だけの判断であるが。 やっぱり最小限の操作が圧倒的な存在感を出している。 外観を覆っているのは、土木用のもので、元々は防砂のために高速道路や倉庫に使う材料。 この材料メーカーの担当者と話をした事があるが、その時は伊東豊雄さんのブーメラン型の宿泊施設で使用されていて、その使い方に驚いていた。 ありふれた素材を使い方の妙でうならせる。 最小限の操作が印象的な外観をつくり出す。 他と違う事で差異を出すのは簡単だが、他と同じ事をしながらも差異を出すのは難しい。 それが、デザインの面白さ。…

モエレ沼公園

北海道シリーズです。北海道は見たい所が結構あるのですが、それぞれが点在していて移動手段が結構大変です。 ということで、モエレ沼。ここは実家より結構近いので、簡単にアクセス出来るのですがなかなか行けずじまいでした。 でも、イサム・ノグチは好きな作家だったので是非一度行きたかったのです。 敷地は広大で、北海道らしさがいっぱい。 西洋と東洋の庭園をミックスしたような不思議なランドスケープでした。 幾何学の力強さが随所に見られます。 公園のスケールというものを考えさせられました。 これくらいのスケールがもっと都心というか街の真ん中にあったら、気持ちいいだろうな、などと。 もちろん、土地の問題がありますが豊かさってそういうところにあるのかなとも思います。 経済の論理で片付けられる問題ではなく、もっと根本的な問題というか。 スケールというのは、そういう圧倒的な力を感じます。 エジプトのピラミッドは見た事がないのですが、そういう類いのものを見る感じでしょうか。 ただし、ガラスのピラミッドがあるからといわけではないです。…

未来大学 研究棟

山本理顕さんの初期の頃の作品は、すごいディテールだなとずっと思ってましたが とある人から、その方のご近所にあるスーパーが理顕さんの設計だったそうですが あまりに細いワイヤーを使っていたらしく、屋根が崩落しかかっていて撤去されたそうです。 細いワイヤーを使う事自体は問題ないと思うのですが、施工能力がついていけなかったのかな と思いました。建築は想像力と技術力が一致していないと、形にならないので、その辺が難しい。 施工者側から言わせれば、「こんな設計しやがって」などとおっしゃるのでしょうが 僕はスーパーマーケットの設計でも手を抜かない理顕さんの方が正しいと思います。 時代の一歩先ではなく半歩先を行くといったのは、確か丹下先生だったと思いますが 時代の半歩後ろの施工者がいるとすれば、それはもう背中すら見えない・・・。 新潟の朱鷺メッセの連絡通路もそうだったが、設計の問題だけで事故は起こらないと思う。 話がそれましたが、研究棟も見てきました。 校舎よりもさらに挑戦的だと思いますが、それが前面に出ていなくて、むしろおとなしい感じ。 施工はすごく大変そうに見えましたが、どうだったんでしょう。 小さなデザインで全体を構成するのは、最近の流行のようですが 理顕さんのは、機械的なところというか、鉄とい…

はこだて未来大学

函館は観光名所もいっぱいあって、函館山もあっていい所なんだけどいつも素通り。 理由はフェリーが夜中に着くせいなんだけど。 今回は、しっかり見ました!未来大学。 山本理顕さんの設計です。 函館の中心からやや離れた小高い所にあります。 建築は大きいスケールになればなるほど、そのデザイン手法の違いが明確になる気がします。 ここでは、山本さんのいう「システム」が徹底されています。 「埼玉」で使用されたシステムを当然参考にしているのでしょうが、さらなる挑戦が感じられます。 「システム」といった時点でそれを使用する事に支配されてしまいそうですが、ここでは全くそれを感じません。 まさにこの空間が圧倒的です。 究極のワンルーム。 とても開かれている感じが周囲の自然にマッチしていています。 この気持ちよさのためだけに、あらゆる技術を多用している。 決して技術を使う事が目的ではなく、この「気持ちよさ」という定量しがたい感覚のために総動員されているように感じました。 それが建築の本当の価値であり、意味だと感じます。 こんな大学でもう一度学んでみたくなりました。…

めでぃあてーく

せんだいに来てこれを見ない訳にはいきません。 今回で3回目ですが、いついっても人がいっぱいです。 ちょうど夏祭りの真っ最中でしたので、通行止めがたくさんあって思いっきり迷いました。 通行止め解除直後に到着。 施設のほとんどが終了していましたが、それでもイイ雰囲気は伝わってきます。 コンペ当初の案は、一階が公開空地として計画されていたようですが、気候が許せば ガラス壁が開口したら、気持ちよいだろう。 確か道路側は開口できるようになっていたような。 仙台は本当に公共の施設が充実してます。県立図書館は原さんの設計だし。 個人的にいい図書館がある街が好きなので、仙台市民が羨ましい。…

宮城スタジアム

阿部さんシリーズで宮城スタジアムです。 スケールの幅が極端に広いのが建築の面白さのひとつだとつくづく感じます。 スケールが大きくなっても建築家の力量は如実に表れるのは建築が建築たる所以ではないでしょうか。 緊張感が違います。こういうタイプの建築を見てもあまり面白さは感じられないのが通常なのですが 見所がたくさんありました。 スケールが大きいものは、デザイン密度が低くなるのはどうしようもありません。 その密度の低さをメリットと考えるかデメリットと考えるかによって、プラスにもマイナスにもふれる。 大きくなれば、見えないものも小さいとよく見える。 人間の大きさは変わらない。 遠景と近景の違いを把握しながらデザインするのは並大抵ではありません。 でも、そういう能力は小さいものをつくる上でも必要なのだろう。 設計の世界にもビルディングタイプによってカテゴライズされる傾向がありますが 本来の力量は、そういうものを超越したところにあって、経験値の差ではないと思います。 本質的に優れているかいないか。 それを見極めるのも、力量が必要でしょうけど。 そんな事を考えながら、見ていたらあっという間に一周してしまいました。 時間にすると約一時間。 エントランスの水盤が維持されていないのが、ちょっと残念。…

菅野美術館

東北シリーズ第二弾! 阿部仁史さんによる美術館です。 こういう小さなキューブをこんなにも豊かな空間で構成出来るのかと思わせる作品です。 素材と空間がしっくり来る感じが心地よいです。 エンボスだけを見ているとグラフィカルに見えますが、決してグラフィックな処理だけで 成立していないことは空間体験する事でより明確に感じました。 複雑でありながら、単純であること。 わかりにくいわかりやすさ。 それが、この小さな建築に凝縮されている。 今回の展示は設計者自らによるインスタレーションだったのですが より建築的な感じにまとまっていて、ヨイです。 アクセスの困難さもいい味出してます。…