Photo:Petits détails de la nature by Marc Lagneau 先日ある住宅を見たときの事。 ・・・がむき出しの家。 しかし、その暴力的な見出しに相反するように、優しい雰囲気の住宅だった。 確かに素材が見えている。 その意味ではむき出しと言えるかもしれない。 しかし、その素材が醸し出す雰囲気は、「むき出し」というには優しすぎる佇まいであった。 なるほど、住宅であればこうしたくなる。 以前、伊東豊雄さんが語っていた抽象に対する姿勢を思い出す。 抽象の先を超えていきたいとも語っていた。 極度の洗練は、物質間の消失と存在意義を希薄にしてしまう。 素材感は、素材らしさであり、あるべき姿でもある。 住宅という機能を考えるとその素材感は邪魔な存在かもしれない。 でも、それを調停するのなら、そもそもなぜその素材が必要なのか。 「むき出し」にすることの意味はなんなのか。 洗練が悪いことだとは思わない。 しかし、存在感が消えるほど洗ってしまって 人工的な香料の香りを後付するはめになるのなら 洗わないで投げ出すほうが自然に抽象化されるのかもしれない。…