Category Archives: 2006

TNデザイン一級建築設計事務所

国際子ども図書館

東京行脚その3 「宝物館」のすぐ隣にある「国際子ども図書館」。 本当は子どもを連れて行くのがベストだけど、今回は出来なかった。 次回は必ず・・・と思いながら、近寄ってみた。 実は、オープン前にたまたま見たので外観は以前に見ていたが、やはり歴史のある建築は 独特のオーラと言うか、近寄り難い雰囲気を持っている。実際、竣工当時はここに入れる子供や大人は 明らかに上流のエリートだったに違いない。 しかも、本来の計画はロの字型の平面で、現存する3倍の規模になる筈だった。 全てが完成した姿を見てみたいと思うが、これだけでも保存されたのだから良しとしよう。 建築にはこういう威厳と言うか重厚さと言うか、そういうモノも大切だなと思わされる。 しかし、それは現代建築と互いに寄り添っているからこそよりこの建築の価値を高めているのだとも思える。 安藤さんは他にも既存の建築との共存というテーマで創られたものがあるが、安藤さんらしさで言えば 「国際子ども図書館」はおとなしい感じがする。日建設計との共作という事も関係あるのだろうか。 こういった大きいプロジェクトは計画段階から雑誌等に発表されるので、そのコンセプチュアルな模型の段階から見る事があるが、同じコンセプトを持っていても実現する建築は建築家によって全く違う…

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omotesando

Photo:Opening soon by Tighten up! 表参道ヒルズについて思う事。 一般的な評価や建築業界の評価はよく知らないが、あの建築は間違いなく次世代に受継がれていく建築だと思う。 それは、安藤さんの設計だからとか、森ビルがつくったからとかそういうたぐいの基準ではなくて、単純に 歴史を刻み込んだ代表的な建築だと思う。 伊東さんの「tod’s]は凄い。妹島さんの「Dior」も青木さんの「Louis Vuitton」も時代を象徴する素晴らしい建築だと思う。 でも、きっとあの表参道で愛されて末永く建築として生きていけるのは「表参道ヒルズ」しかないかもしれない。 他の建築にない規模を持っているけれど、他の建築家を圧倒するようなデザイン的な斬新さをウリにしている訳でもないけれど。 でもだからといって、その辺の大規模開発と一緒だと思ってしまうのも違うと思う。 明らかに、安藤さんにしか出来ない事をやり遂げていると思う。詳しく述べるのは評論家ではないので避けるとして、そこに安藤さんらしさをとても感じる。 森ビルと共同で設計していることも、単なるパッケージデザインのようなのも、それだけに終わらせないよといいたげな佇まいなのも。 あの建築を森ビルが単独でまとめ上げたら、ど…

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法隆寺宝物館

東京行脚の続き。 表参道ヒルズには目もくれず、上野へ。 駅からの程よいアプローチが心地よい。やっぱり都市には大きな公園がないと美しくない。 宝物館はそれが独立した施設だと思っていたのですが、国立博物館の一施設なのは知らなかった。 本館で特別展示をやっていて、人だかりになっていたが宝物館に向かう人は少ない。 資料館が工事中なので、アプローチの雰囲気は台無しだが、奥から発しているオーラが漂ってくる。 この設計者は、最近ではニューヨークの「MOMA」を完成させたが、非常に上品な建築をいくつも設計している。 「東山魁夷美術館」は何度も足を運んだが、いつ見ても心が研ぎすまされるように感じる。 「宝物館」で一番印象的だったのは、やはり仏像が林立している展示空間だった。 薄暗い照明の中で柱と同化するように均等に並んだ仏像には圧倒されてしまった。 あえて側面にラベルが付けられているために、一瞬見たらそれが展示物というより、空間と一体となった 装飾のように扱われている。群となった仏像達がその強烈な存在感を発して林立している様は荘厳だ。 こういうグリッドの構成は非常に固く感じられるが、こういった格調のある空間にするには都合が良いかもしれない。…

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mikimoto

東京を離れると東京という都市の不思議さがよくわかります。 これだけ劣悪な環境なんだけど、人の多さではねのけると言うか・・・。 人が多いという事はそれだけで異常なエネルギーを持っています。 そう言う意味では、中国はもっと凄いと思うのですが。 という訳で、見てきました、mikimoto。 最近のファサード建築の最新作ですが、異常なほどのフラットさを実現させるために注がれた職人の格闘の痕跡がこの建築の価値である。 鉄は塗装の表現であると言ったのは藤森照信氏であるが、塗装はその塗られた下地を最も素直に表現しているとも言える。だから、何に塗るかという事が塗装の表現では重要だし、だからこそ鉄板による無目地の面にこだわる意味があるのではないだろうか。 表層というと目に見えているたかだか数ミリの世界で完結しているように思えるが、人間の目はそんなに安っぽいものではない。 その奥にあるエネルギーを無意識に感じ取っているはずだ。 それは、例えば職人に大事に使用された道具が異常なほど美しく見えるあの感じに似ている。 現代建築は新しいだけでは建築とは言えない。その建築が立ち上がった時からエネルギーを注がれた分だけ 建築としての価値も高まっていくと思う。 建築は建築として使わない限り建築にはなりえない。…