前回からの続き。質についての思考です。
美術館のようなビルディングタイプであれば、建築自体もアート的な要素を
多分に求められると思われますが、住宅の場合はどうでしょう。
建築のデザインは機能と切り離されて存在するものは、あまりないと思いますが
機能だけで優劣を判断していくと、建築には成り得ない場合が多々あります。
例えば、安藤忠雄さんの「住吉の長屋」は最終的に日本建築学会賞という
日本のアカデミックな建築界の最高峰の賞を受賞しています。
しかし、雑誌で発表された当初は、様々な批判にさらされました。
その一番の意見は、トイレやお風呂にいく度に一度、外へ出なければならない
というプラン上の制限についてだったと思います。
その後、その建築の評価が確立された後に、同じようなプランの
コンクリート住宅がたくさん作られました。
しかし、どの住宅も一度外へ出るというプランはほとんど無く
ガラスで仕切られていたり、中庭自体に屋根を掛けたりしています。
僕の知るかぎり、住吉を超える質に到達しているのはあまり無いように思います。
中庭があることや、外に出なければならないプランや
打ち放しで構成されていることや、その他の様々な要素を
単にトレースしただけでは、建築として高い質には到達できないということだと思います。
すべての要素をコントロールして創りだした、空間そのものに
高い価値があるということだと思います。
通常、外に出るというプランはクライアントには受け入れがたいものでしょう。
提案したとしても、機能として却下されることが容易に想像されます。
しかし、その機能が本当に妥当なものかを見極めることが重要です。
実際、上記の「住吉」でも2階の寝室から水周りへ行こうとすると
雨の日は濡れるかもしれません。
しかし、この住宅のスケールなら、ほんの十数秒の出来事です。
そのデメリットよりも、体に直に触れられる空気感のメリットに
価値を見出していると思います。
こちらのクライアントも、完成して数年後に安藤さんに屋根かけたら?と
打診されていますが、クライアント側から断られたそうです。
そして、築35年以上ほぼ当時のまま住んでおられます。
安藤さんも凄いですが、クライアントも立派です。
必要なモノが、絶妙なバランスの上で成り立つ緊張感は
そういった、様々な要素でもたらされているということです。
他のコンクリート住宅とこの住吉の絶対的な差は
そういう緊張感だろうと感じます。
住吉を超えないまでも、住宅に緊張感を持ち込むのは
住い手にとっても、挑戦が必要です。
建築家の住宅は、全てでは無いですが、住い手を選びます。
クライアントと共に良い住宅は何なのか、次世代に残していける建築は
どんなものなのか考えながら、一作一作試行錯誤の連続です。
そして、そういう価値を持っている建築が特殊解としてではなく
一般的になっていくことで、住宅や建築に対する概念が進化していけばいいと思います。