その後・・・

「SI-house」に久しぶりの訪問。写真は懐かしの施工風景。
この建築とほぼ同時に生まれたお子さんが、大きくなって言葉もどんどん話せるようになり時の流れに気付かされる。

僕はこの家が好きだ。

多分、好きという感情を超えている気がする。
この建築の置かれている環境・・・愛されるべきクライアントご夫婦とお子さんに囲まれている・・・状態そのものが好きだ。
建築家は建築を作ることができるが、建築の置かれる環境までは、想定はしていても作ることはできない。
もちろん、愛されないようにモノを作ろうなんて思う人はいないから、少なくとも愛されてほしいと思いながらモノを作るだろう。
だからといって本当の意味で愛されるモノができるとは限らない。

僕は正直言って、この建築がこんなにもうまくできていることに自分自身驚いている。
本当に自分が設計したとは思えないほどに。
多分それは、僕の力だけでこんな幸せな状況になったわけではないからだろう。
それは、クライアントの人間力がそうさせているのだ。

建築は、他の殆どのモノたちよりも格別に寿命が長い。
だから、いろいろな批評の的にさらされてしまう。
「新国立」は生まれる前に消し去られてしまったが、生まれればそれなりの建築に育っただろうに・・・。

瞬間を切り取る写真とは異なる時間軸の中で、クライアントのご家族は様々な瞬間と向き合いながら暮らしている。
その瞬間は、時に幸せで、時に困難をもたらすだろう。
人は、その先に幸せがある、希望があると思えればどんな困難も意外に乗り越えられるものだ。
むしろ困難を楽しむ余裕さえ生まれるかもしれない。
希望がある生活がどんなに幸せかを、このクライアントはこの建築をフィルターに僕の心に焼き付けてくれた。

気がついたら、一枚も写真を取っていなかった。
その必要もないことにすぐに気がついたけれど。
デジタルデータはHDDがクラッシュすれば全て無になってしまうけれど、心に刻まれたこの感動は
僕が生きている限り絶対に消えることはない。
忘れることができない瞬間は、そんな何気ない瞬間の連続なのだから。

この場を借りて、クライアントご家族の皆様へ
いつも笑顔で迎えていただき、そしておもてなしをいただき
さらに感動までいただいて、設計する者としてこれ以上ない幸せを感じております。
これからも、ご家族により多くの楽しい時間が訪れることを心より願っています。