TNデザイン一級建築設計事務所

空間の質

前回紹介した岸氏の著書の中で、美術館に対する思考があります。岸氏は以前より、F・ゲーリィによる『ビルバオ・グッゲンハイム』を高く評価していたのを知っていたのですが、なにがどう良いのかを再認識しました。
さらにそこにある空間の質と私が何を求めて建築をつくっているのかという本質的な問題を認識する事になりました。

私にとって美術館というものはあらゆるビルディングタイプの中でも特別な存在で、設計者なら美術館の設計を依頼されて喜ばない人はいないでしょう。
そして、私のつくる住宅を見た一般的な意見として、よく言われるのが「店舗のようだ」という言葉について。
今まではさほど気にしていなかったのですが、それは空間の質によるものなのか?ということです。

岸氏によると、テーマパークというのは現実空間から仮想空間に巧みに導入するために、中間領域として商業空間を挟み込む。そこで観客は気がつかないうちに本格的な仮想空間に導入される。それがテーマパークに共通する空間構成である。
そしてそれが、「気がつかないうちに」成立するのは、商業空間は現実の空間のなかでも無意識に半仮想的な空間だというコンセンサスも存在するからだと思う。

そうなると、私の建築空間に対する一般人の評価である「商業空間のよう」というものは、ある種納得できるものなのかもしれない。
仮想空間というのは、なにか特別な気分にさせる空間と置き換えてもいい。

美術館のような住宅とか店舗のような住宅という概念自体、「住宅」は美術館や店舗とは違うと無意識に感じている。
でも、私はそう思わない。
良い空間の質を求めれば、それは美術館でもあり商業空間でもあり「住宅」でもあるということ。
ビルディングタイプは関係なくなってボーダーレスになる。

美術館のような住宅というはアリでしょう。~のようなという表現が陳腐なだけで。
そういえば、最近は「軽井沢の別荘みたいだね」とも言われる。
突き詰めると、その辺の住宅とは違うということの意味が、人によって様々な表現になるだけか・・
と思うようになりました。

例の著書からの引用

”サーカスの道化が日常空間を異化する存在であるように、芸術も日常的な都市空間を異化する。
そのための容器が「美術館」と時に呼ばれる建築であるとするなら、その様態は社会や都市、環境や文化的文脈の変化に従って、変わり続けるのは当然だ。

なにしろ、ルーブルだって元は宮殿、すなわち「住宅」だったのだから。”