Photo:Gift shop by Pricey
アートとは一般的に大衆を相手にしていない。大衆を相手にしないからこそ、アートになり得る訳で、それが作家の個性でもある。
建築はそれが個人住宅であっても周囲の目にさらされ、ある程度の公共性を持ち、作家だけで成立しない部分が多々ある。
だから、アートではない。
建築はアートではなく文化である。
私の尊敬する建築家の一人である手塚貴晴氏の言葉であるが、手塚氏の論調は時代に即しており、なるほどと感心させられ、氏の建築もその思想に合致している。
氏の言葉を聞いたとき、僕の想いは揺れに揺れた。
でも、僕はそれでも建築はアートであると思いたい。
どんなにお金をかけてもたどり着けないものがアートであると僕は思う。
デザインすることがお金をかけることと同意だとすれば、そこに建築家は必要ではない。
建築家でなければたどり着けないデザインこそが真のアートであるのではないか。
お金をかけてもつかめないものをつかみ取ることがアートだと思う。
僕のデザインに値札がついていたなら、きっとユニクロなみだと思う。
でも、クライアントの方々の立場で言えば、きっと高価に見えた方がいいのだろう。
だれも安さを自慢したりしない。それがステイタスというものだ。
まだ、合板の技術がそれほど確立されていない時代に、いち早くそれに着目し仕上げとして採用した建築家の作品がある。
それは、当時の最先端の技術であるのでかなりのコストを掛けて実現している。
今見るとむしろ安っぽく見えるが、建築家自身も「安っぽく見える」のを理解しむしろそれをめてデザインしている。
そして、それが今見ても名作に見えるのだ。
つまり、いずれこの技術が一般的になり誰でも手に入るということを予言しているかのごとく、明確な意志と思想が込められている。
建築というのはそういうものであり、それがアートなのではないか。
上記の例はコストという意味では矛盾しているが、建築家はコストをかけるのが仕事ではない。
クライアントに建築というアートを提供することだと僕は思う。