先日、打合せの中で現長野県知事の「脱ダム宣言」についての話になった。
打合せとしては、素材の話であったのだが。
そこでの話。
先方「コンクリートは自然の素材じゃないから・・・」
相棒「でも、コンクリートは地場の材料を使ってつくる素材としては世界中で
使用されていて最も普及している素材ですよ」
先方「私は田中知事に賛同しているので、コンクリートは嫌いです。だって脱ダム
はコンクリートのダムをつくらないって宣言しているのですから」
私 「それは、コンクリートがいけないのではなくダムをつくる事がムダだと宣言しているのだと思います。」
先方「さぁ、そうなのかしらね。私はそうは思いませんけど」
田中知事の宣言を良く見てみると、ダムの代わりに河川の治水地業を充実させると書いてある。
つまり、ダムで治水をする事よりも河川で治水をする方が割安らしい。コンクリートのことについては
全く触れられていない。
確かに「コンクリートでダムをつくるべきでない」と宣言しているが、これはコンクリートが悪者ではなく
ダムのつくりかたが悪いと言っているのではないか。
木造でダムをつくれば環境に優しいとでも思っているのか・・・。
フードマイレージやウッドマイルズなどが最近言われているが、環境を軸に考えた時、自然=木材という
安直な回答になるのは時代遅れだ。いまや地場の木材を住宅で使用する事は皆無だし、安価という理由だけで
外国から莫大なエネルギーを掛けて運んだ材木をなでながら、「やっぱり自然はイイネ」などと言っていては
世界環境から見ても異常な事態だと思う。
どんな分野でも宣言と言うのは強烈なインパクトをもって世の中に流布される。
しかし、実際に伝わっている本質は全く別なものに変換されて、一般の認識になってしまう。
そして、それに気がつかないと言う事が一番恐ろしい。
プロパガンダの恐怖。
外断熱しかり、バリアフリーしかり。世の中にはそういう歪んだ正義がたくさんあるように思う。
(こういうふうに書くと外断熱やバリアフリーのどこがいけないのでしょうか。などというメールが突然届いたりする。
そういうヒトのために一応書くけど、それ自体が悪いのではなく使い方が間違っていたり、それを使えば全てがOKみたいな風潮と言う意味)
そして、多くはそれが一人歩きしている。
もっと本質を見る目が大衆にとっても必要だと思うのだが。