甲府に行ったので、安藤さんの竜王駅に寄ってみた。丹下さんの山梨文化会館も行きたかったけど、気付いた時には日が暮れていた。
安藤さんと言えば、中之島に図書館を作るらしいのだが、その設計費と工事費を事務所が負担するらしい。
運営費は個人や企業からの寄付が基本のようです。
そのニュースを聞いて、その偉大さに感動したのはもちろんのこと、何か壮大なドラマを見たような気持ちになりました。
中之島と言えば、有名なタマゴ案を思い出しますが、もともと依頼がある仕事ではなく、他にも大阪駅の屋上緑化とか、若い頃の安藤さんは色々提案しては無視されます。その後10メートル模型や巻物状の図面など、何十年にも渡ってひたすら中之島へのANDO計画をつくり続けています。そして、遂に自身の寄付で図書館を創り上げようとするこの凄さは、並大抵の精神力ではない。
最近では大病もされたようだし、国立競技場コンペの件で批判を浴びたり、とても順風満帆には(僕個人の主観です)見えない中で、これほどの想いを持ち続けることの凄さを知っておくべきだと僕は思う。
一方で、こんなハコモノはいらないという意見も少なからずあるようで。
あるブログでこのことを批判している記事を見ました。
その主旨は、昨今の活字離れを憂いて図書館をつくるなんて飛躍しすぎで、建築的な解決方法は無意味であり、いわゆるハコモノを作ることでは根本的な解決にならないのだからムダである。
だからロウガイ建築家の考えることには共感できない、ということらしい。
なるほど、そういう見方もあるんだなぁと思いもするが。
だがしかし。
そもそも建築家が社会に貢献できる最大限の行為は、建築をつくることである。
優れた建築を世に多くつくり次世代に残すことが、一番の使命ではないか。
中之島にはすでに図書館があるから施設としては必要ないかもしれないが、ANDO建築ではない。
どうしてもそこにつくりたいという執念は、ある意味、建築家の傲慢さに見えるかもしれないが、建築をつくる者として見れば、もう巨匠というか巨人にしか見えない。圧倒的な。
安藤さんは他にもオリーブを植樹する団体を作ったり、様々な社会活動をしている中での、自身の設計による建築の寄付。
これ以上の社会貢献があるだろうか。
イタリアなんか、普通に安藤さんに報酬払って、予算つけてANDO建築を輸入してるのに。
その価値観の違いが日本国民の問題だってことに気がつかないうちは、建築家の立場も建築に対する価値も理解されないのではないか。国立競技場の問題は建築家も含めて建築に対する理解が共有されていない事に起因するのだと感じます。
ただ上記のブログの他の記事には、僕が共感できる記事もたくさんあって、信念の重要さや、その正確性についてよりも成し遂げたことに対する価値。つまり例え間違いだったとしても、「やらなかった」事よりも「やった」事に対する評価が重要であることを語ってもいます。
だからこそ、安藤さんの30年以上の叶わぬ想いを、最後に力ずくでも叶えてしまう建築家の狂気と執念を理解したいと思うのです。