「SI-house」写真集の在庫がなくなってしまったので、重版しました。
初版当時は、なかった各賞受賞のキャプションを追加しました。
以前の印刷環境から変わってしまったようで、仕様が特殊で対応出来る業者が限定されてしまいました。
紙の質感が少し違ってしまったのですが、何とか満足のいく仕上がりになりました。
住宅は作品ではないとか、建築と住宅は違うとか、そういう批判をする人が大勢いることを
知っているしその意見が全て間違っているとは思いません。
ただ、僕は住宅という建築の素晴らしさを知っていて、作品としての住宅が
生活を豊かにできるということを信じています。
僕の設計した住宅が、性能もデザインも優れていて、なおかつ他と比べてコストも安いならば
それは画期的な発明であるし、それを広く一般化することは社会にとっても重要だと思います。
世の中に100%の真実は存在しないと僕は考えます。
同じ時間を共有した他人同士が、同じものを見て、同じ現象を感じても
自分の感情や意味が、その他人と同じであるという前提は、100%ではない。
全く違うことは想像しにくいが、そうなることも考えられるし、90%以上同化している可能性もある。
他人の視点を想像することは出来ても、完全に自分のものにすることは究極には難しい。
だからこそ、コミュニケーションという手段が生まれ、確認しながら共有していく。
なぜ、人は芸術を欲し、愛するのか。
芸術は単にハイソサエティーなモノだけでなく、美しいと思えるならば全て
その人にとっての芸術に値する。
そういうモノに包まれたい欲求は、多かれ少なかれ潜在的に人は持っていると僕は考えます。
その一端として住宅を考えるならば、美しい住宅に住むことは、自然の欲求です。
その美しさをどう考えるかが最も重要で、だれがどのように構築するかによって全く様相は異なることになります。
自分で考えることも可能ですが、誰かに考えてもらうことも可能です。
その時に、僕は自分で考えたことに対して、サイン(署名)をすることが作品化することだと思っています。
逆説的には、僕の考えにないものがある建築は、作品ではなくなってしまうということでもありますが。
建築における様々な決定事項において、クライアントの意見が全く入らないことは、住宅においては非常に稀で
現実的にそれは不可能なことですが、僕の考えが全く尊重されないということもまた不可能なことです。
クライアントとのコミュニケーションの中でコンセプトがきちんと共有されていれば、大抵のことはクリア出来ます。
この作品集が存在することが何よりの証しでもあります。