ケンチクカン

僕は建築が好きだ。

そして、建築を作るプロセスはとても刺激的で、自分の思考が少しずつリアライズされる過程は何より至福な時間といっていい。
設計事務所の仕事は、設計をすることだから所員が現場に行くことは、設計監理の常駐以外あまり歓迎されない。
だから自分が独立をするなら、一つ一つ作るものを自分の目で確認して時に自らが手を下してでも作りたいと考えていた。
だから、胸を張って作品と呼べるし、そうだと確信していた。
その考え自体は変わっていないのだけれど、今はもっと距離をとるというか、むしろ自分が作らないからこその、幸せな偶然を期待するようになった。
全てをコントロールすることは、確実に設計者の理想でもあるが、それが真に良いことと思えないこともある。
もちろん意匠的な意図を持つことは大事なことだが、建築工事というカオスの中では、あまりに繊細で脆弱な論理でしかない。
しかし、本当に一流な技術は、意図しなくとも自然に全てを取り込んでいく。
例えば、安藤忠雄のコンクリートの壁を見たレンゾ・ピアノが「これは墨絵だろ?」というように。
恐らくそれは、単にコールドジョイントだと思われるが、それが墨絵に見えるほど美しいコールドジョイントをどうやって意図的に作るのか。
そういう偶然を引き寄せるだけの「何か」が必要ということだ。
それは施工技術という理論で説明がつかない「何か」。
どんなに頭が切れようとも、そういう偶然を引き寄せるのは並大抵なことではない。
運が良いと言えばそれまでだが、その念が確率を超えなければ、芸術に昇華しない。

そんな、偶然を期待しながら、今日も僕は現場に足を運ぶのだ・・・。