久々に本が読みたくなって手にしたのが「日本建築思想史」磯崎新著。
磯崎さんの文章は難解ですが何故か読みたくなります。
そこに山があるから登るのが登山家であるなら、建築家として磯崎新の言説はエベレスト級の山に見えますが、どうしようもなく惹かれます。
本書は、難解なのは序章までで、あとは対談形式なのでとても楽に読めました。
内藤廣曰く「建築家の言説が難解なのは、出来なかったことを説明しようとしているから」と言っておりますが
磯崎さんに限っては、明らかに意図的に難解にしている。
分かるもんなら分かってみやがれ的な・・・。
現代において「わかりやすさ」は正義でもあり、なんでも簡略化や省略をして「わかりやすく」することで消費されます。
消費されないモノを構築するには、やはり消費されない思考ももちろんだが、社会背景も重要。
そういう意味では時代を読み解き、そこでどう振る舞うかにかかっている。
それは私のような末端の建築家であっても、同じだと思う。
磯崎新はこう読んでこう振る舞った。
僕はどう読み、どう振る舞う?