現場に出向くことの意味。
工事の監理が主たる目的であることは、言うまでもありません。
しかし、それだけで済んでしまうほど単純でもありません。
しかし、それだけで済んでしまうほど単純でもありません。
人は、同じ物を見ても同じ認識をしているとは限りません。
不思議なもので、その時に考えている情報にしか脳は反応しません。
つまり、何も考えないで見ていれば、何も反応しません。
例えば、好きのモノとか、人とかが、どんなに雑多な情報に埋もれていても
見つけることが出来るのは、そういうことだと僕は思います。
建築を感じる時間は、時として一定に流れるものではないと思います。
見つかるまでにとても時間がかかったり、すぐに理解できるけれど
時間が経つと鬱陶しいものに変化してしまったり。
上の写真は現場の中で、ふと気がついて撮ったもの。
粒子化された空間。
意図はしてないけれど、こうするとこうなるのか。
みたいな一瞬。。。
でも、その一方で、この状態自体に美しさがあるとも感じた。
それは、見えない秩序というか意図しない秩序。
見せるためではないのに生まれてしまった秩序。
そこに醸し出される雰囲気。
現場にいることの意味は、きっとそういう断片を
見つけに行くため。