ランキングカテゴリーを「モダンインテリア」に変更しましたので
インテリアについて一考。
インテリアというのは、建築か否か。
という問はその問い自体がナンセンスなのは言うまでも無いのだけれど一般的にはインテリアデザイナー
などという職種があったりしますので建築とは切り離されている印象があります。
建築士の資格がなくても、デザインが出来るということもあるかも知れません。
しかし、建築にとってインテリアだろうがエクステリアであろうが
それが建築とは別にデザインされること自体に違和感があります。
建築構造と表裏一体でデザインされるというのは、実はとても高度で難易度が高いのです。
かつて、ポストモダンが盛んに叫ばれたときは、構造は完全に裏方でありました。
骨組みは置いといて、化粧をどうやって施すかを競っていたように思います。
そういうハリボテ的なモダニズムはバブルと共に消えて言ったわけですが
その対極にある、ミニマルモダニズムは、構造と如何に融合するかに掛かっているので
自ずとインテリアもストイックな緊張感を醸しだす様になります。
なかには、構造自体をインテリアにしてしまうこともあります。
そちらはハイテック・アーキテクチャという別な潮流も影響していると思われます。
しかし、構造に対する姿勢という意味では、そぎ落とす美学という意味で同等だと思います。
日本でいう建築の捉え方は、実は建築構造のことではないかと今は思っています。
つまり、エンジニアリング的な工学としての躯体。
しかし、デザイナーズ〜という枕詞が使われるようになって建築はやっと建築そのもので(いい意味で)評価され始めたように思います。
未だに構造だけ作って、あとはデザイナーに化粧してもらえば・・・
という古典的なプロジェクトも実在しますが。
世の中には、建築(構造)を作れない(作らない)けど
建築のデザインする(出来る)人もいっぱいいます。
いい悪いは別として。
まぁ僕も意匠系なので、構造をゼロから作れるわけではないのですが・・・。
以前、事務所で勤務していたときに、上司から「立面図をデザインしてほしい」と言われたことがありました。
そして、それは時間外でやってきて・・・というような内容でした。
通常、設計事務所内でデザインのイニシアティブを取れるのは所長かチーフクラスに
限られますので、そんな機会はめったにありません。
多分上司は、軽い気持ちで(良かれと思って)仕事を与えてくれたのだと思いますが
僕は、全くデザイン出来ませんでした。
なぜなら、その構造躯体に何かを足してもデザイン的に良いものなのかよくわかりませんでした。
そのプロジェクト自体に深く関わっていないということも関係していますがどうしてこの立面に(骨組み)
なっているのかに共感がないからです。
立面というのは、突然現れるわけではなくて、平面計画と連動して現れます。
つまり、立面を考えることは平面を考えることだと思うのです。
立面だけを考えても、それは成立しないのでは・・・と思い出したら
とてもこんな平面じゃダメだと、(生意気にも)思った覚えがあります。
本当に生意気なんですけど、立面デザインするなら平面も計画させろ!ということを言っていた(思っていた)記憶があります。
もちろん、そんなことは即、却下されましたけれど。
住宅の設計をやっていると、間取り図ということで、クライアントが平面を描いたりすることがあります。
(決して悪いと言っているわけではありません・・・)
しかし、間取り図で建築が説明できるのは、それ以外の情報が統一されている場合に限ります。
つまり、ハウスメーカーのように高さ関係が固定されている場合は有効です。
だから、メーカーの住宅は間取り図で事足りるわけです。
そこに「立面をデザインする」という概念はありません。
平面で見る空間と、中に入って感じる空間は似て非なるものです。
それが、建築だと思います。
そして、その建築の内側の最も繊細で、だけど気軽にふれられたり、眺めたりで、安心したりするもの
それが、「インテリア」なんじゃないかなと思うわけです。ランキングカテゴリーを「モダンインテリア」に変更しましたので
インテリアについて一考。
インテリアというのは、建築か否か。
一般的にはインテリアデザイナーなどという職種があったりしますので
建築とは切り離されている印象があります。
建築士の資格がなくても、デザインが出来るということもあるかも知れません。
しかし、建築にとってインテリアだろうがエクステリアであろうが
それが建築とは別にデザインされること自体に違和感があります。
建築構造と表裏一体でデザインされるというのは、実はとても高度で難易度が高いのです。
かつて、ポストモダンが盛んに叫ばれたときは、構造は完全に裏方でありました。
骨組みは置いといて、化粧をどうやって施すかを競っていたように思います。
そういうハリボテ的なモダニズムはバブルと共に消えて言ったわけですが
その対極にある、ミニマルモダニズムは、構造と如何に融合するかに掛かっているので
自ずとインテリアもストイックな緊張感を醸しだす様になります。
なかには、構造自体をインテリアにしてしまうこともあります。
そちらはハイテック・アーキテクチャという別な潮流も影響していると思われます。
しかし、構造に対する姿勢という意味では、そぎ落とす美学という意味で同等だと思います。
日本でいう建築の捉え方は、実は建築構造のことではないかと今は思っています。
つまり、エンジニアリング的な工学としての躯体。
しかし、デザイナーズ〜という枕詞が使われるようになって建築は
やっと建築そのもので(いい意味で)評価され始めたように思います。
もちろんその弊害も見逃せないんですけど・・・。
未だに構造だけ作って、あとはデザイナーに化粧してもらえば・・・
という古典的なプロジェクトも実在しますが。
世の中には、建築(構造)を作れない(作らない)けど
建築のデザインする(出来る)人もいっぱいいます。
まぁ僕も意匠系なので、構造をゼロから作れるわけではないのですが・・・。
以前、事務所で勤務していたときに、上司から
「立面図をデザインしてほしい」と言われたことがありました。
そして、それは時間外でやってきて・・・というような内容でした。
通常、設計事務所内でデザインのイニシアティブを取れるのは所長かチーフクラスに
限られますので、そんな機会はめったにありません。
多分上司は、軽い気持ちで(良かれと思って)仕事を与えてくれたのだと思いますが
僕は、全くデザイン出来ませんでした。
なぜなら、その構造躯体に何かを足してもデザイン的に良いものなのか
よくわかりませんでした。
そのプロジェクト自体に深く関わっていないということも関係していますが
どうしてこの立面に(骨組み)なっているのかに共感がないからです。
つまり、立面を考えることは平面を考えることだと思うのです。
立面だけを考えても、それは成立しないのでは・・・と思い出したら
とてもこんな平面じゃダメだと、(生意気にも)思った覚えがあります。
本当に生意気なんですけど、立面デザインするなら平面も計画させろ!
ということを言っていた(思っていた)記憶があります。
住宅の設計をやっていると、間取り図ということで、クライアントが平面を描いたり
することがあります。(決して悪いと言っているわけではありません・・・)
しかし、間取り図で建築が説明できるのは、それ以外の情報が統一されている場合に限ります。
つまり、ハウスメーカーのように高さ関係が固定されている場合は有効です。
だから、メーカーの住宅は間取り図で事足りるわけです。
そこに「立面をデザインする」という概念はありません。
平面で見る空間と、中に入って感じる空間は似て非なるものです。
それが、建築だと思います。
そして、その建築の内側の最も繊細で、だけど気軽にふれられたり、眺めたりで、安心したりするもの
それが、「インテリア」なんじゃないかなと思うわけです。