前回紹介した「建築のちから」はとても評判の良い本らしく南洋堂では前年の第二位の売り上げだったそうです。
その中でも紹介されていました「とらや工房」ですが
実は去年の夏に訪れておりました。
内藤さんの建築なのか半信半疑になるほどにデザイン臭さが消されています。
でも、そこで語りかけているものは内藤さんそのものでしたし、感じたその思いが
著書で語られている文章からも感じられて二度、感動しました。
そこで語られているのは建築というよりも、周囲の林や竹林、池などのランドスケープが
主役でした。
そして建築は控えめに人の身を寄せる為の場を与えてくれるもの。
そうした謙虚さは学ぶべきものが多くあると、その当時も感じました。
私が目指す建築の理想と違うかもしれませんが、そこにある正しさは納得できるものが
多くあります。
建築は奥が深い。
アプローチの門。ここから竹林をさらに歩く事になる。
まさに世俗との境界。天国と地獄を分つ門。
庭との関係。真夏の良い季節だったので、とても気持ちがよかった。
こういう空間は住宅にも絶対に必要だと思うが、受け入れられる事は少ない。
日本人はかつては「家は夏を旨とすべし。冬はいかなるところにも住まる。」
と言われていたのに、いつのまにか「冬を旨とすべし。」に変わってしまった。
ましてや私の暮らす長野は盆地のせいで夏は暑く冬は寒い。
夏の暑さより冬の寒さを改善したいという要望が多いのも事実。
それでも私が思う暮らしは、地球と一体になるということではないか。
それがお互いに暑さ寒さを分かち合うことであるならば、エネルギーを必要としない
本当の意味でのエコロジーの概念につながると思うし、本来の人間の生命力を力強く
してゆく事が出来るのではないかと思う。
長野は長寿のお年寄りが多いが、その暮らしぶりはまさに地球と一体となって生きている
感じがしてならない。大地からエネルギーを頂いている感じ。
どら焼き。とてもおいしかった。
娘はおしるこ。こちらもおいしそう。(というかおいしかった。一口だけだけど)
中庭の池越しに見る。
内藤さんはおそらくここから逆の風景をイメージしていると思う。
つまり、建築ではなくて池や庭を見せたいのだと。
だから本当はこういう写真やシーンを想定していない。
見るものと見られるものは、対比されているのではなく曖昧に共鳴して解け合っていく。
そういう自然との対話は建築にとっても私達にとっても大切な事だと思う。