最近よく仕事をして頂く業者さんの自宅です。
設計自体は関わっていませんが、私の仕事からヒントを得た(とご本人が仰る)部分が
多々見られます。一度設計について私の持論をお話しした事もありまして、それに賛同していただいた事もありますので私が見ても参考になるものが沢山ありました。ただそこで感じた事は設計者の不在が気になりました。
その方(施主)は設計者ではないので、結果として装飾的に建築をコントロールすることになります。それは逆説的に施主のセンスの良さを引き出している事になるのですが
本来は設計者がコントロールすべき所を施主がしてしまっているということです。
一般的には建築士(あえて士をつけます)は骨組み所謂構造を担当するものという認識が多くありますがそれは本質ではありません。
さらに建築士というのであれば二級と一級の区別がありそれぞれ担当能力に違いがあります。単純に一級が良くて二級が駄目という事ではありません。
では建築家とはどういう存在か。
少なくとも建築士の資格のない人は建築家ではないと私は思います。その建築士のなかでも優れた建築をつくる人が初めて建築家と呼ばれるべきですが、現在はその境界線は曖昧です。でも建築士=建築家ではないし、設計を良く知っている素人=建築家でもないと思います。
良くキッチンは奥様の城だから主婦の言う通りに設計するべきだという意見がありますが、それは間違いです。奥様は単なる主婦であって、設計という専門家ではないからです。日本においての住宅が多種多様なのは、そこにある種の美学というか秩序が感じられないところにあります。
住宅は施主の好みに自由にデザインする事が許されていますが、ヨーロッパなどは特にデザイン的な規制が厳しい地域もあります。ただし、そこで明確な設計側のコンセプトさえ納得してもらえれば如何様にもできるところがあります。それは、建築家という専門家を信頼しているからこそ実現できる話です。
しかし、日本ではあまり聞く話ではありません。むしろ、公共建築においても市長が代わっただけでそれ以前のプロジェクトを全て廃止になったりして、全く信頼されていない場合が多い。住宅においても平気で建築家に対して意味不明な指示を出したり、横柄な態度を取ったりする人間がいます。それがこの国の建築家の地位なのでしょう。
最近、建築家と一緒に家を~というフレーズがあふれていますが、そこに建築家に対する専門家としての評価をきちんとされているのかが心配になります。
都市に関して言えば、都市計画は絶対に建築家に任せるべきである。そして町並みのマスタープランまでを一人の建築家が担当するのが理想だと思います。
そして全ての住宅を建築家が設計する必要はないと思います。
ただし建築の力を少しでも感じられる感性を持っているならば、建築家に任せた方が良い。そしてそれを誰に依頼するのかを良く吟味することだ。どんなものを依頼するかではなく誰に依頼するかというのが一番大事な事である。
誰でもいいのならその程度の建築しか建たないし、その程度の感性しか持っていないのだから、どんなに素晴らしい建築が目の前にあってもそれに気がつかないし、住みこなす事は出来ないから。