Photo:黒川紀章・中銀カプセルタワービル Nakagin Capsule Tower, tokyo, Kisho Kurokawa by pictureTYO
今年二度目の更新!
放置状態のブログですが、最近感じること。
建築家という職業も東京都知事に立候補した黒川氏のおかげで
一般的にも広く認知されたことと思います。(笑)
でも実際建築家と呼ばれたとしても全ての人が黒川さんのように資産をたくさん持っているわけでもなく、建築家と呼ばれなくとも、素晴らしい建築をつくることができる人もいます。
実際黒川さんも学生時代から有名でしたが、実際に作品が出来たのはずっと後で、作品がない時代も建築家として有名でした。
つまり、建築家という言葉自体、非常に曖昧なものということです。
「作家というものは、その作品によってしか自己を表現しないものだ。」というのが私の信念です。
それは、建築に限らず、音楽や小説などの全てのジャンルに言えることだと思います。
しかし、建築において、唯一ともいえる差異があります。
それは、外部の資本を必要とする。つまり、資金のほとんどを他者に求めて具現化しなくてはならないということです。
その場合、資金を出資したものがその所 有者なので、住宅であれば当然施主が所有者です。
しかし、建築家は自分が設計したものが作品であるならば、他人が所有しているものを作品と呼ぶことになり ます。
施主の中には、それをよく思わない人もいます。「私の家なのに・・・」と。
でも、私が思うのは、住宅メーカーがつくった建築を作品とは一般的に呼びません。彼らは商品と呼びます。
作品と呼ぶからには、作家の表現が何らかの形でそ の建築に込められています。
込められていなければそれは、どんな建築でも作品とは呼びません。
作品と呼ぶからには、やはり特別な建築であると考えているからです。そして、施主にとってもそれは特別な建築であるでしょう。
つまり、その作家は実際に住むことはないけれど、住人であるとも言えます。
だから、デザイナーと呼ばれるかたちや素材だけをいじる人たちとも根本的に異なります。
そういう建築を住宅にするのは、ある意味で非常にエネルギーを必要とすることかもしれません。
しかし、そのエネルギー以上に得られるものはたくさんあると考えています。
それから、建築家と言えども、設計だけをやっているだけでなく、身の回りのデザインをたくさんやっているので、気軽に話を聞いてみると新しい発見があるかもしれません。