TNデザイン一級建築設計事務所

八百長

Photo:Le Corbusier, La Cité Radieuse, Marseille by C1ssou

世の中は、ボクシングの八百長疑惑で盛り上がっているようですが・・・。
勝負の世界なので、勝つか負けるか勝者と敗者しかいないのだけれども
だからといって勝つ事で全てを正当化する事は出来ない。
負ける事や負け方がすばらしく美しく感動する事もある。
日本は戦争に負けたから、経済大国になれたのかも知れない。
建築の勝負と言えば、コンペと呼ばれる設計競技がある。
国際的なオープンコンペから住宅のネットコンペまで、その規模や派手さは様々だが
多かれ少なかれ、仕事を依頼されるには何らかの競い合いを勝ち抜いているはずだから
全ての設計は広義のコンペティションだと言えるかも知れない。
しかし、そこで勝てるのは一案だけであり応募数が多ければ多い程負けた人も多数いるという事だ。
つまり、ほとんどの人が負けている。私も含めて。
だからこそ、勝った者は負けた者に対して敬意を払い、負けた者は勝った者を讃える事が出来る。
隈研吾さんの「負ける建築」という著書があるが、負け方の考察が面白い。
まさに、建築で美しい負け方を表現している。あんな負け方が出来るなら負けてもいいと思う。
この業界でも、大きな設計コンペでは所謂「出来レース」と呼ばれる試合が存在すると言われている。
有名なものでは、丹下先生が勝者となった新東京都庁舎のコンペだろう。
ただし、念のため断っておくが、私が事実と確認した訳ではないので誤解しないように。
今回のボクシングの世界戦のように経過を逐一見た訳でもないので、私が判断できることではない。
そこでも、丹下先生以外は所謂敗者であるので、コンペが終わればその案や建築家の存在は忘れられる。
しかし、私にはその負け方が至極真っ当に見えた人がいた。
磯崎新。大先生。
別に好きとか嫌いとかの問題ではなく、磯崎さんの東京都庁舎案は最高だと思う。あの丹下流タワーよりも。
しかし、磯崎さん自身も負けるのが分かっていたようで、審査員も法規違反というもっともらしい理由で
除外している。本来建築基準法は但し書きがあって、建築審査会が許せば基準を緩和出来るようになっている。
にもかかわらず案の正当性には触れず、一番世間が納得する方法で理由を説明する。
ボクシングで言えば反則負けといったところか。
これも、磯崎さん流の最高の負け方だと思う。アンビルドが時としてビルドを超越する事がある。
コルビュジェのコンペ案もしかり。
磯崎さんもしっかり作品として、シルクスクリーンで保存してるし。
いまある都庁舎はかなりの完成度であり、丹下先生の代表作であることにはかわりはない。
しかし、ここにあの磯崎さんの建築が実現したのなら・・・と都庁を見る度に思う。
建築は物質を伴ってそこに定着するので、その存在自体が正当性を帯びている。
しかし、イメージは実態を伴っていないからこそ、全てにおいて自由であり、且つ強烈である。
コンペにとって八百長かそうでないかは問題ではない。むしろ主催者側の問題だ。
建築家にとってはそこで勝つ事よりも重要なことある場合もあるということだ。
勝つ見込みがあるから創るのではなく、これが強いと思えるモノをつくるしかない。
優れているかいないかは、時間が選び出すだろう。
世界の王者は世界に認められているからこその王者だと思う。
身内のコンペでしか勝てない建築家を世界の建築家とは呼ばないように
誰もが認める勝ち方をしなければ、王者とは呼ばれない。
たとえメディアがそう叫んでも。
真の王者とはそういう存在だと思う。